第11話:いよいよ本題にいこうよ

 「勘違いのキャッチボール」の話は、だんだんと落ち込んで暗くなっていく話でした。出来ていないことばかりを聞いていると、ほとんどダメな世の中のように思い込まされていきます。これが、批判情報を垂れ流すマスコミが〝マスゴミ〟と呼ばれてしまう理由なのです。

 これからは、出来ていることを話題にしましょう。題して「感動のキャッチボール」。素晴らしいことは目に見えないんだよと言われますが、感動の話は皆のすぐそばにあります。自身の中にある、けれどもなかなか気づかない。これを「雖近而不見(すいごんにふけん)」と言います。難しい言葉はともかく、次回からは、素晴らしいからだのチームワークの話をしようと思います。全部身に覚えのある話だけど、きっと感動すると思うよ。

第10話:続々・キャッチボールあるある

 キャッチボールの仕方を勘違いしているよくあるパターンのご紹介はこれで終わりです。

●勘違いのキャッチボール(その3)

 キャッチボールがドッジボールになっている場合があります。ドッジボールの「ドッジ」とは、 避ける(よける)という意味です。つまり、聞いていないふりをしたり、「右から左へ受け流したり…(もう旧いですが)」するわけです。実に避けるのが上手くなって、そのうち、人と素直に対話ができなくなってしまいます。こうなると、もうボールを受け取ることが面倒くさくなっているかもしれません。

●勘違いのキャッチボール(その4)

 お互いに、または、どちらかがキャッチボールしようとしていることに気づかない場合です。そもそも、キャッチボールすることの喜びを知らない場合です。つまり、何がボールかもわからない状態です。どちらかが声をかけても、無関心、無反応という状態となり、もう声をかける気持ちさえも無くなっていく悲しい状態です。(おわり)

第9話:続・キャッチボールあるある

 前回に引き続き、キャッチボールの仕方を勘違いしているよくあるパターンをご紹介します。

●勘違いのキャッチボール(その2)

 ストライクを投げることを暗に要求する場合です。まさに、ストライクゾーンにグローブを構えて、「さあ、ここに投げて来い!」と言わんばかりの状態です。しかし、自分がかなりストライクを強要していることに気づいていないのです。しかも、結構、このタイプのストライクゾーンは狭い。投げる方は、外したらどうしようと不安いっぱいになっていたりします。これはもう、キャッチボールという仲間同士の対話作業ではなく、入団テストか試合本番です。相手を評価したがる偉い人に多い勘違いといえます。もちろん、投げたボールが、要求した通りのど真ん中のストライクでなければ、やれ投げ方が悪いだとか、ガミガミとお説教が始まったりします。(つづく)

第8話:勘違いのキャッチボール

 相手とキャッチボールすることが大切だと言われて納得した気になるわけですが、案外、そのキャッチボールの仕方を勘違いしていることがあるようです。よくあるパターンをご紹介します。

●勘違いのキャッチボール(その1)

 対話を始める前から、相手にどんな球を投げるかを考え過ぎることです。あれもこれも言いたくなって、一人で勝手に暴走することです。暴走の具合は人によって異なります。怒りが込み上げてくる人や、不安だらけになる人、決め付けや思い込みが強いのでしょう。キャッチボールする前に疲れてしまうパターンです。結局、声をかけることもなく時間だけが過ぎていくことになります。(つづく)

第7話:こちら感度良好

 対話の達人は、言葉のキャッチボールのプロと言えます。「キャッチボール」の基本は、キャッチする側にあります。 つまり、いかに「キャッチ」できるか、どのように受けとめることができるかにあるのです。言い換えれば、相手の言葉をどのように感じ取れる自分であるかが試されるのが「対話」なのです。

 いまやWi-Fiの時代。世の中には目には溢れる程の電波が飛び交っています。なぜ受信できるのかを知らなくても、性能が優れた受信機を持っていれば自由自在に聞き取ることができます。「こちら感度良好!」ーーいつでも、どこにいても、大切な人の心をキャッチできる自分であり続けたいと願っています。

第6話:「答える」より「応える」がいい

「サラダ記念日」という歌集がある。1987年3月、24歳の俵万智が初めて本として世に出した一冊。当時すぐに手にした私が、今も忘れず大切にしているのが次の一句。

♡「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

 ストレート勝負の豪速球を受け止める捕手のような気分だったことを覚えている。歳月を経てあらためて読み返しても、その新鮮な刺激に変わりはない。

 蛇足ではあるが、「答える人」は「応える人」の方がいい。しかし、きっと彼女は、あえてその文字を選んだのに違いない…などと、懐かしむように呟く自分がいる。

第5話:「やさしさ」を考える

 人にはやさしい人でありたいと願う人のために、「やさしさ」についてあなたと相手の組合せの視点から考えてみましょう。すると、「やさしさ」という思いやりは2つあることに気づきます。

 1つは、〝すぐに効く〟やさしさです。この即効性のあるやさしさ、応急処置的やさしさとは、相手の個性に合わせてあげる(同質化する)ことです。もう1つは、〝あとで効く〟やさしさです。すぐには分からず、あとでジワジワ効いてくる予防対策的やさしさとは、相手の個性を補完してあげることです。

 くわしくは、またの機会に。そして、この2つを理解し処方できる方には、マッチング・アドバイザーの資格を授与します。🤗

第4話:言葉は薬

 言葉は薬です。処方によって、良い薬にも、悪い薬にもなります。処方とは、心を込めることだと思います。あなたは、どんな心を込めますか?

 医療にはカウンセリングという仕事があります。「いかに聴くか」も「いかに話すか」も、どんな言葉を処方するかといえます。私たちのひと言ひと言が、耳にする人をなぜか元気にしてしまう、そんな気持ちのいいおくすりを処方できたらいいですよね。

 それを少し目指してみる、それを皆で一緒にやってみる、そして、それを一度でも体験してみる。それが、これからはじまるプロジェクトです。

第3話:相手の身になる

 「相手の身になって考える」とは、相手の感受性を思いやることだと思っています。例えば、ウサギさんとカメさんとでは、「ちょっと待ってね」の〝ちょっと〟は相当な時間差があるのです。「はやくやってね」の〝はやく〟にもかなりの速度差があります。「ここをキレイにしておいてね」の〝綺麗〟の度合いも違っていることを知っておく必要があるわけです。同じ言葉だから通じ合えるはずなのに意味や感じ方が異なるのでギャップが生まれるのです。『話せば、分かり合える』という有名なセリフがありますが、本当は、「話せば、互いの違いに気がつく」ことが、その第一歩なのではないかと思うのです。

第1話:齷齪(あくせく)

朝から少しショッキングな話を一つ。

「あくせくする」という言葉があります。「毎日をあくせくして生きるのは嫌だ」のように使われます。心にゆとりがなく、細かいことや目先のことに追われてこせこせとする意味ですが、なんと漢字では「齷齪」と書くのです。そうです「歯へん」なのです。歯の隙間が狭いことから生まれた言葉なのです。歯科で働いていると感染するぞと言われないようにしましょうね。